『「リベラル保守」宣言』『中村屋のボース』中島岳志最新評論集!枝野幸男・立憲民主党代表との緊急対談収
保守こそリベラル。なぜ立憲主義なのか。
「リベラル保守」を掲げる政治思想家が示す、右対左ではない、改憲か護憲かではない、二元論を乗り越える新しい世の中の見取り図。これからの私たちの生き方。柳田国男、柳宗悦、河上徹太郎、小林秀雄、竹内好、福田恆存、鶴見俊輔、吉本隆明らの思想=態度を受け継ぐ。
<目次>
一、 保守と立憲――不完全な私たち
二、 死者の立憲主義
三、 リベラルな現実主義――対談・枝野幸男
四、 保守こそがリベラルである――なぜ立憲主義なのか
五、 思想とは態度である
2018年2月2日
1,980円(本体1,800円)
四六判並製 272頁
ISBN:978-4-909048-02-8 C0036
なかじま・たけし
1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院淳教授を経て、現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大仏次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。著書に『ナショナリズムと宗教』、『インドの時代』、『パール判事』、『朝日平吾の憂鬱』、『保守のヒント』、『秋葉原事件』、『「リベラル保守」宣言』、『血盟団事件』、『岩波茂雄』、『アジア主義』、『下中彌三郎』、『親鸞と日本主義』他。『報道ステーション』のコメンテーター等、メディアへの出演も多数。
編集後記『保守と立憲 世界によって私が変えられないために』
今年(2007年)の夏、神保町の書店で平積みされているこの本を手に取り、中身も確かめずレジへ向かった。中島岳志の書いた"パール判事"であれば、面白いに決まっている。
パール判事――ラーダービノード・パール(1886-1967)。東京裁判で、被告人全員の無罪を訴えたインド人裁判官として知られている。その意見をまとめた「パール判決書」は、「日本無罪論」と部分解釈され、「『大東亜』戦争肯定論」の論拠として右派論壇から近年しばしば拡大解釈の上に援用され、ご都合主義に利用されている。
パールが本当に求めていたことはなんだったのか。東京裁判以外に顧みられないパールの生涯を追いながら、「判決書」を慎重に読み込み、その思想の根源に迫る。
中島は前作『中村屋のボース』(2005年/白水社)で、インドを代表する過激な独立運動の指導者であり、日本に亡命し新宿・中村屋に「インドカリー」を伝えたラース・ビハリー・ボースの生涯を追った。アジア解放を念願しつつも、日本帝国主義に頼らざるを得ない。その揺れ動く苦悩の人生を、中島は冷静に、時に熱く、明確な「答え」を出さず、しかし確固たる信念を持って描き切った。
物事は、世界は複雑だ。とても白黒で判断できるものじゃない。
お互いに「答え」が決まっている議論はいつも平行線だし、何も生まない。相手の言葉に耳を傾け、考える。真摯に答えを追及する。その過程だけが何かを生む。
1975年生まれの中島岳志の言葉には、その方法論には、何かを変える力がある。
■『クイック・ジャパン』(太田出版)74号・2007年10月25日
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約10年前の2007年、中島岳志さんの新刊『パール判事 東京裁判批判と絶対平和主義』の書評を書いた。タイトルは自分で書いたのか、原稿を依頼してくれた担当編集者(前田和彦)が書いたのか覚えていないが、「ゼロ年代に、中島岳志という書き手が登場した。」としている。
その年の夏まで、私はカルチャー雑誌『クイック・ジャパン』を編集していた。編集しながら何本も原稿も書いていたが、校了中の、寝不足が続く殺気立った日々に、自ら編集する雑誌に書く原稿は、それは辛いものだった。この原稿は、雑誌を離れ別の会社に移り、初めて依頼されて書いたものだった。書評を書いたのも初めてだった。書評したい本はすぐに決まった。
『中村屋のボース』を初めて読んだ時、自分がこれまで抱えてきたもやもやした表現できない態度に、言葉を与えてくれる書き手が現れたと思った。
とても簡単に言うと、当時の私は、右左の態度、言葉のどちらにもしっくりこないものを感じていた。この態度にはっきりと指針を示してくれたのが中島岳志だった。これで良かったんだ。ようやく自分たちの時代の書き手が現れたと興奮し、彼が書くものを端から読んだ。
書評を書く前後、同年8月に、映画監督で作家の森達也さんの対談集『豊かで複雑な、僕たちのこの世界』が出版され、その刊行記念イベントとして(確か)丸善の丸の内本店で森達也・中島岳志のトークショーが開催された。
森さんには『クイック・ジャパン』で「日本国憲法」という連載をして頂いていたし、一緒に「森達也責任編集・政治」特集(67号・2006年8月10日)を編集していた。彼の監督した映画『A』(1998年)、『A2』(2002年)に感銘を受け、その語り口、方法論が自分の雑誌には必要だと考え、ご一緒頂いた。その森さんと中島さんが公開対談をすると聞き、一も二もなく駆け付けた。
トークショーの後、森さんにご挨拶し、初めて中島さんにも話しかけた。何をしゃべったのか、あまり記憶がない。その後、講演会に出掛けたり、本の感想をお伝えしたり、仕事は関係なく、よくお会いするようにもなった。
中島岳志の書くものは、私がそれまで求めてきたものだった。編集者として、彼の本を作りたいと思った。彼を責任編集として雑誌を創刊することも構想した。しかし、私が会社を移籍したり、いろいろな事情やタイミングでそれらは実現できず、10年が経った。
出版社スタンド・ブックスを設立し、中島さんは最初に書いてもらいたいと考えていたひとりだった。東工大の近くの、魚の美味しい定食屋でいつもごはん大盛りを食べながら、いろいろな話をした。
そんな中、昨年の9月、衆院解散が表明された(ちょうど一年前には安保法案が強行採決された)。希望の党が出来、立憲民主党が結党された。目まぐるしく政治が動いてゆく。「保守」という言葉が飛び交い、あらゆることがねじれているように思えた。今この混沌の中で、私たちは何を自分の芯にして考え、生活していけばよいのか。
中島さんは雑誌『表現者』(西部邁が顧問を務めていた)の連載「私の保守思想」で、2014年頃、「死者」について連続して書いていた。「死者論」から「保守」について、「立憲主義」について思考し、それを「死者のデモクラシー」「死者の立憲主義」と表現していた。
今こそ中島岳志が書く、このテーマの本が読みたい。保守とは何か。なぜ立憲主義なのか。リベラルな現実主義とは。「死者の立憲主義」を軸として、これまで書いてきた原稿を再構成し、書き下ろしを加えた、今に問う、今を考えるための本。世界がどう変わろうと、ぶれないように、自分自身で考え行動できるように、生きることができるように。
実際の本づくりは、10月25日に実施された解散総選挙の後から始まった。刊行まで3ヶ月。枝野幸男・立憲民主党代表には選挙後の大変お忙しい中、貴重なお時間をいただいた。デザイナーの矢萩多聞さんには年末年始頭を悩ませてしまったが、本を体現する柔らかながらも強い装丁に仕上げて頂いた。私も中島さんの言葉と向き合いながら、いつもより静かに一年を振り返り、次の年に向けて想いを新たにすることが出来た。
今自分が、どうしても読みたい本を作りました。そしてこの本が誰かにとって、考えるための、生きるための一歩になればとても嬉しいです。
2018年2月2日 森山裕之