本と生活

寺尾紗穂『彗星の孤独』

丁寧に書くことは、丁寧に生きること。ー いとうせいこう

親との関係、恋愛、恋愛以外の人間関係、出産、子育て。女が生きる、ということはそれだけで事故であり、病のようなものでもある。そしてまた、詩のように雄弁なものであるのだと思った。ー 鈴木涼美

「遠くて遠い」父、娘たちのぬくもり、もう会えない人と風景。日常を、世界を、愛おしく、 時には怒りにも似た決意を持って綴る。唯一無二の音楽家・文章家による待望のエッセイ集。
寺尾紗穂『彗星の孤独』

彗星の孤独

寺尾紗穂

2018年10月16日 

本体1,900円(税別) 

四六判 仮フランス装 320頁

ISBN:9784909048042

寺尾紗穂

SAHO TERAO
音楽家。文筆家。1981年11月7日東京生まれ。
2007年ピアノ弾き語りによるアルバム『御身onmi』が各方面で話題になり、坂本龍一や大貫妙子らから賛辞が寄せられる。ソロアルバム『愛し、日々』『御身onmi』『風はびゅうびゅう』『愛の秘密』『残照』『青い夜のさよなら』『楕円の夢』『わたしの好きなわらべうた』『たよりないもののために』をリリース。並行して伊賀航、あだち麗三郎と結成したバンド「冬にわかれて」の始動、坂口恭平バンドにも参加。映画の主題歌提供、CM音楽制作やナレーション、エッセイやルポなど、活動は多岐にわたる。新聞、ウェブなどで連載を持ち、朝日新聞書評委員も務める。著書に『評伝 川島芳子』『愛し、日々』『原発労働者』『南洋と私』『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々』、編著書に『音楽のまわり』がある。

【目次】
Ⅰ 残照/愛し、日々/御身/風はびゅうびゅう/青い夜のさよなら/楕円の夢/たよりないものために
Ⅱ あれが恋だったとは思わない/ある一日の話/カラスの話/ダンゴムシの話/ぶらぶらしているおじさんたちの話/インコの話/帰ったら犬がいた話/呵責/丼のあたたかさ
Ⅲ Zinesterの夜/FMヨコハマに行った日のこと/河童は死んでいない/原発と私/犀の角/せめて鳳仙花の種を一粒/「言葉以前」の人々のように
Ⅳ 高知 心の調律師/長野 無言館/高知 ちょうちょう/東京 来てみりゃ八丈は情け島/沖縄 軍用地ローン/高知 カフェ パウリスタ/パラオ ジャングルの防空壕/熊本 日本の中の異国/高知 批判された南米移住/富山 姥石探索/山形 ボインの神様/福島 フクロウ信仰/宮城 石神さま/広島 言葉はいらない/高知 戦中の上林暁/千葉 なんの場所かわからない場所/鳥取 私の神様/大阪 安藤さんの部屋/宮崎 戦争と銃剣道/高知 ネオニコチノイド/東京 野口英世の顔/兵庫 手におえないもの/埼玉 ビワと雀/長野 夭折者の音楽/福岡 先入観と現場/広島 原爆孤児を助けたヤクザ/岐阜 風の神様/北海道 旭川のパラオ/愛媛 主張と主張の間をぬう/高知 ハンガーとハレルヤ/宮城 芭蕉の見た燈籠/京都 密やかに学ぶ/沖縄 和して同ぜず/長野 程度の問題/千葉 変革は静かに進む/ひとりの祈り
Ⅴ ふたつの彗星――父・寺尾次郎の死に寄せて
長いあとがき

*Ⅳ章に掲載しております高知新聞「時には旅に」は、現在も連載中です。

編集より

編集後記『彗星の孤独』

寺尾紗穂さんのことは、ファーストミニアルバム『愛し、日々』(2006年)を聴いて初めて知った。
私は当時、雑誌『クイック・ジャパン』(『QJ』)の編集をしており、ライターの北沢夏音さんと特集記事をよく一緒に作っていた。北沢さんとは企画の話をする中でいつも音楽の話はしていたが、その時は、仕事というニュアンスではなく、とても個人的な感じの強い口調で、多分わざわざ電話をいただいて言われた。
「森山くん、今すぐ寺尾紗穂さんの『愛し、日々』を聴いてみて」

北沢さんがそこまで言うことは珍しい。というか、あんな風に何かを薦められたのは後にも先にもあの時だけだ。すぐ、レコード店に買いに行き、CDをプレイヤーにのせた。聴いた後すぐ、北沢さんに電話をした。
「北沢さん、聴きました。今すぐ寺尾さんに会いに行きましょう」
その直後に、『愛し、日々』の発売記念のライブが下北沢のラカーニャであったので、ライブを取材したい旨をご連絡し、カメラマンにも入ってもらい、北沢さんと出掛けた。

初めて『愛し、日々』を聴いた時のことは忘れられない。人生の中でそう何度もない瞬間のひとつだと思う。その声、ピアノ、楽曲、すべてがそれまで聴いたことのないものであり、体の隅々までしっくりとくる音楽だった。その頃は仕事でたくさんの音楽を聴いていたけれど、『愛し、日々』は自分を何も偽ることなく、好きだと言える音楽だった。
ラカーニャで観たライブは、音源の感動をさらに超えるものだった。『愛し、日々』に収録されている曲はそれまでに聴き込んでいたが、カバーで歌った西岡恭三さんの「グローリー・ハレルヤ」が、もう信じられないくらい素晴らしかった。こんな人がいたんだ。こんな音楽があったんだ。一生聴き続けるだろう音楽に出会うことができた。

それから、取材で寺尾さんにお会いすることになり、文章を書く人だということを知った。私家版で作った『中国旅行記』をいただいた。文章を読んでもう一度驚いた。文章も音楽と同じくらい、というか、どちらを選ぶ必要もないくらい素晴らしいものだった。そして、すぐ寺尾さんに連絡をした。文章の連載をして欲しいので、会って打合せがしたいと。
寺尾さんの文章を読んで思ったことを、打合せの最初に伝えた。

「寺尾さんの『父の詫び状』を書いてください」
「はい」

打合せは1分で終わった。向田邦子のエッセイ集『父の詫び状』は大好きな本だった。寺尾さんの文章を読んでその本のことを思った。
寺尾さんは音楽でも文章でも、必ず世に出る人になると確信した。たくさんの人の、心の奥底に歌と言葉を届けられる人になると思った。『QJ』に連載されたエッセイ「愛し、日々」は、『中国旅行記』と共に、寺尾さんの第1エッセイ集『愛し、日々』(北沢夏音さんが編集)に収録されている。

その後私が『QJ』を辞めてからは、変わらず寺尾さんのライブには通っていたが、編集者として寺尾さんに原稿をお願いする機会がなくなってしまった。
『QJ』の連載を読んでくれた編集者が依頼し、雑誌『真夜中』(リトルモア)に寺尾さんの文章が掲載された(「あれが恋だったとは思わない」)。『QJ』の時は充分な紙幅を用意できなかったが、『真夜中』ではそれなりの文字数の中で、のびのびと書いているように感じられた。その後、2011年3月11日から1ヶ月後に書かれた「原発と私」が『真夜中』に掲載された。それまで寺尾さんの書いてきたものの延長にはあるが、もっと深く、遠くまで書いているように思えた。言葉があふれていた。こういう寺尾さんの文章を、もっともっと読みたいと思った。
それから寺尾さんは『真夜中』で、のちに本としてまとまる「南洋と私」の連載を始め、いろいろな雑誌、新聞、ウェブ、いろいろな媒体で文章を書くようになっていった。

出版社を立ち上げ、寺尾さんの本を作りたいと思った。
寺尾さんは既にエッセイ集『愛し、日々』の他、ノンフィクションの著作を何冊も出していた。寺尾さんと作りたいノンフィクションのテーマもあったが、やっぱり最初に寺尾さんに連載を頼んだ時のように、寺尾さんのエッセイを読みたいと思った。これまでに書いていた「残照」や「原発と私」という文章を編み直し、寺尾さんがこれまで歩んできた道を記録したいと思った。
「寺尾さんの本を作りたいので、一度お会いできませんか」と連絡し、渋谷の美味しい親子丼のお店でランチをした。最初に出てきたほうじ茶を飲みながら雑談し、寺尾さんが口を開いた。

「どんな本にしますか」
「これまで書いてきた文章に書き下ろしを加えたエッセイ集にしましょう」
「はい」

打合せはやはり1分で終わった。
結局、寺尾さんはこの本のためにたくさんの文章を書き下ろしてくれた。過去に書かれた文章と書き下ろしの現在進行形の文章が渦巻き、編集しながら、これはすごい本になると思った。

『彗星の孤独』の編集作業中、闘病をされていた寺尾さんのお父さん、寺尾次郎さんが亡くなった。数日後、寺尾さんからメールが来た。
「こんな文章を書きました」
それが、文芸誌『新潮』に掲載された「二つの彗星」だった。一読し、放心し、動けなくなってしまった。この文章を、今作っている本の最後に置こうと決めた。

「彗星の孤独」というタイトルは寺尾さんが決めた。いろいろ候補はあったが、これしかないタイトルになった。
デザインをしてくれたTAKAIYAMAの山野さんとは初めての仕事だったけど、初めての感じがしなかった。いつもデザイナーさんと本の打合せをする時は、自分のイメージを一方的に、あいまいなことを含めて漏らさずできるだけ多くの情報を伝えている。山野さんはそれをいつも的確に、想定を超えたかたちで返してくれた。「彗星の孤独」とタイトルが決まり、山野さんは大矢真梨子さんの写真を紹介してくれた。一目見て「これだ」と感じた。「彗星の孤独」をこんなに表現してくれる写真は他にないと思った。

『愛し、日々』を初めて聴いた時、一生聴き続けられる音楽に出会えたと思った。『彗星の孤独』も自分に、一生寄り添ってくれるだろう一冊になった。

2018年11月7日 森山裕之

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