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  • 編集後記『彗星の孤独』

    2018年11月29日 編集後記

    寺尾紗穂さんのことは、ファーストミニアルバム『愛し、日々』(2006年)を聴いて初めて知った。

    私は当時、雑誌『クイック・ジャパン』(『QJ』)の編集をしており、ライターの北沢夏音さんと特集記事をよく一緒に作っていた。北沢さんとは企画の話をする中でいつも音楽の話はしていたが、その時は、仕事というニュアンスではなく、とても個人的な感じの強い口調で、多分わざわざ電話をいただいて言われた。

    「森山くん、今すぐ寺尾紗穂さんの『愛し、日々』を聴いてみて」

    北沢さんがそこまで言うことは珍しい。というか、あんな風に何かを薦められたのは後にも先にもあの時だけだ。すぐ、レコード店に買いに行き、CDをプレイヤーにのせた。聴いた後すぐ、北沢さんに電話をした。

    「北沢さん、聴きました。今すぐ寺尾さんに会いに行きましょう」

    その直後に、『愛し、日々』の発売記念のライブが下北沢のラカーニャであったので、ライブを取材したい旨をご連絡し、カメラマンにも入ってもらい、北沢さんと出掛けた。

    初めて『愛し、日々』を聴いた時のことは忘れられない。人生の中でそう何度もない瞬間のひとつだと思う。その声、ピアノ、楽曲、すべてがそれまで聴いたことのないものであり、体の隅々までしっくりとくる音楽だった。その頃は仕事でたくさんの音楽を聴いていたけれど、『愛し、日々』は自分を何も偽ることなく、好きだと言える音楽だった。

    ラカーニャで観たライブは、音源の感動をさらに超えるものだった。『愛し、日々』に収録されている曲はそれまでに聴き込んでいたが、カバーで歌った西岡恭三さんの「グローリー・ハレルヤ」が、もう信じられないくらい素晴らしかった。こんな人がいたんだ。こんな音楽があったんだ。一生聴き続けるだろう音楽に出会うことができた。

    それから、取材で寺尾さんにお会いすることになり、文章を書く人だということを知った。私家版で作った『中国旅行記』をいただいた。文章を読んでもう一度驚いた。文章も音楽と同じくらい、というか、どちらを選ぶ必要もないくらい素晴らしいものだった。そして、すぐ寺尾さんに連絡をした。文章の連載をして欲しいので、会って打合せがしたいと。

    寺尾さんの文章を読んで思ったことを、打合せの最初に伝えた。

    「寺尾さんの『父の詫び状』を書いてください」

    「はい」

    打合せは1分で終わった。向田邦子のエッセイ集『父の詫び状』は大好きな本だった。寺尾さんの文章を読んでその本のことを思った。寺尾さんは音楽でも文章でも、必ず世に出る人になると確信した。たくさんの人の、心の奥底に歌と言葉を届けられる人になると思った。『QJ』に連載されたエッセイ「愛し、日々」は、『中国旅行記』と共に、寺尾さんの第1エッセイ集『愛し、日々』(北沢夏音さんが編集)に収録されている。

    その後私が『QJ』を辞めてからは、変わらず寺尾さんのライブには通っていたが、編集者として寺尾さんに原稿をお願いする機会がなくなってしまった。

    『QJ』の連載を読んでくれた編集者が依頼し、雑誌『真夜中』(リトルモア)に寺尾さんの文章が掲載された(「あれが恋だったとは思わない」)。『QJ』の時は充分な紙幅を用意できなかったが、『真夜中』ではそれなりの文字数の中で、のびのびと書いているように感じられた。その後、2011年3月11日から1ヶ月後に書かれた「原発と私」が『真夜中』に掲載された。それまで寺尾さんの書いてきたものの延長にはあるが、もっと深く、遠くまで書いているように思えた。言葉があふれていた。こういう寺尾さんの文章を、もっともっと読みたいと思った。

    それから寺尾さんは『真夜中』で、のちに本としてまとまる「南洋と私」の連載を始め、いろいろな雑誌、新聞、ウェブ、いろいろな媒体で文章を書くようになっていった。

    出版社を立ち上げ、寺尾さんの本を作りたいと思った。

    寺尾さんは既にエッセイ集『愛し、日々』の他、ノンフィクションの著作を何冊も出していた。寺尾さんと作りたいノンフィクションのテーマもあったが、やっぱり最初に寺尾さんに連載を頼んだ時のように、寺尾さんのエッセイを読みたいと思った。これまでに書いていた「残照」や「原発と私」という文章を編み直し、寺尾さんがこれまで歩んできた道を記録したいと思った。

    「寺尾さんの本を作りたいので、一度お会いできませんか」と連絡し、渋谷の美味しい親子丼のお店でランチをした。最初に出てきたほうじ茶を飲みながら雑談し、寺尾さんが口を開いた。

    「どんな本にしますか」

    「これまで書いてきた文章に書き下ろしを加えたエッセイ集にしましょう」

    「はい」

    打合せはやはり1分で終わった。

    結局、寺尾さんはこの本のためにたくさんの文章を書き下ろしてくれた。過去に書かれた文章と書き下ろしの現在進行形の文章が渦巻き、編集しながら、これはすごい本になると思った。

    『彗星の孤独』の編集作業中、闘病をされていた寺尾さんのお父さん、寺尾次郎さんが亡くなった。数日後、寺尾さんからメールが来た。

    「こんな文章を書きました」

    それが、文芸誌『新潮』に掲載された「二つの彗星」だった。一読し、放心し、動けなくなってしまった。この文章を、今作っている本の最後に置こうと決めた。

    「彗星の孤独」というタイトルは寺尾さんが決めた。いろいろ候補はあったが、これしかないタイトルになった。

    デザインをしてくれたTAKAIYAMAの山野さんとは初めての仕事だったけど、初めての感じがしなかった。いつもデザイナーさんと本の打合せをする時は、自分のイメージを一方的に、あいまいなことを含めて漏らさずできるだけ多くの情報を伝えている。山野さんはそれをいつも的確に、想定を超えたかたちで返してくれた。「彗星の孤独」とタイトルが決まり、山野さんは大矢真梨子さんの写真を紹介してくれた。一目見て「これだ」と思った。「彗星の孤独」をこんなに表現してくれる写真は他にないと思った。

    『愛し、日々』を初めて聴いた時、一生聴き続けられる音楽に出会えたと思った。『彗星の孤独』も自分に、一生寄り添ってくれるだろう一冊になった。

     

    (2018年11月7日/森山裕之)

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